2019年8月11日日曜日

またのう胞が。。


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1年目の検査で、のう胞が逆側の肝臓にできて、不気味に少しづつ大きくなっていることがわかった。

レポートには大した変化はないとあったが、(ここでは隠し事なし、すべての患者がどんな診断所見でも読める)この病気はその大した変化でないけど、のう胞が成長していること自体が大変な変化なのだ。

珍しくあまり知られていないこの病気はあちこちで誤診され、見逃される。自分がしっかりしていないと、振り回されることになり、手遅れとなる。

しかし、今回は4時間もの大手術にならないうちに何とかしなければならない。

サポートグループの人たちの中にはエストロゲンがあるものを食べると、大きくなるといって、豆腐など、ことごとくをやめ、限られた野菜をいためて、毎日それだけを食べている人がいるが。。それはそれで、今度はバランスダイエットではないから、心臓病や骨粗しょう症を起こす原因となる。

毎日味のない野菜を少しカレー粉をいれて、それだけで食べて、生活するなら、私は好きなものを食べて、毎日元気に生きた方がいい。手術を好まないけど、好きなものも食べられないなら。。それは生きていることにならない。

それに、この病気が遺伝であることはわかっているが、あとはまだ研究中で、何も結論はでていない。。アメリカの移植は大胆だけど、遺伝である限り、それを取り換えて遺伝子を削除するのが一番早いのはわかるような気がする。ただ、救いはステムセルのリサーチが進み、現在20代くらいのひとはそれで、遺伝子を除くことができそうなのは希望がもてる。

まあ。。仕方がないから、おなかの水袋としばらくは共存するしかない。

2019年6月22日土曜日

Positive attitude <前向きに生きる>


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手術を境に変わったことといえば、物事に対する考え方だ。体の形がすっきりしたせいか、ファンシーな服も切れるようになり、ジーンズもちゃんとはけるようになった。おなかを隠す必要もない。

となると、人間おかしなもので、とてもポジティブになれる。つまり、前向きに生きることができるのだ。あんなに命を懸けた手術で無事に生き抜けたのなら、あとはその頂いた命を大切にしようと。

それでも時々は落ち込むこともある。でも、落ち込む期間がぐっと短くなった。落ち込んだ時は、ドクターとのやり取りなどを思い出して、乗り切るようにしている。

毎日を楽しく、去る者は追わず。。後ろをあまり振り替えず、前を向いて歩こうと。

どうにもならないことはどうにもならないと割り切って、そして、何とかなるものと取り組もうと。

そう自分に言い聞かせるだけで、大分態度がちがってくる。表情にも表れてくる。周りに影響されなくなる。

誰かが私を落ち込ませようとしても、私は自分でハッピーだって決めたんだから、人には私の感情を左右させないと。。

試しにやってみてください。


2019年6月2日日曜日

あれから1年


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突然、血液検査で異常がみつかり、超音波検査そしてCTスキャン。病気の特徴を知らないGPは悪性か良性かわからないなどといった。超音波検査の技師がこれは悪性ではないといっているのに。。GPはここでは3年大学に行けば、慣れる。むつかしい病気がわかるわけではないが。。これは。。


家に戻って、グーグルで病気の詳細を読みまくり、専門医も探した。こんな時、レビューは参考になる。よく病気の特徴がわからないGPが紹介した専門医は、レビューも悪いし、肝臓の専門家ではない。本当にいい加減だ。自分で納得のいく専門医をみつけて、再度別のGPのところにいって、紹介状を書き換えてもらって、ひとまず安心。


そういえば、日本で父が亡くなったときも、田舎の医師が咳をしていて呼吸が苦しいといっているのに、腎臓が悪いと腎臓の専門医へ。腎臓の専門医は引き受けたものの、腎臓が悪いのではないので、どうしたらよいかわからず、父は治療もされずに掘っておかれて肺の専門医がきたときには手遅れだった。どこの国もおなじだ。


インターネットをどうこういう人がいるが、こんな時にはインターネットは必要だ。図書館にいったら、永遠に資料を探すのに時間がかかる。医師のレビューを読むこともできない。やはり、情報を早く手に入れることができるという意味ではインターネットは欠かせない。


冬になって、ひんやりとした空気に触れると、昨年のことが思い出される。もうすぐ手術から1年。昨年は寒いと感じる余裕はなかったし、病院で最適温度の中ですごしたから。。冬を感じたのは担当医がジーンズにセーターを着ているのをみたり、私を診察する前に冷たい手を温めていたのをみて、”冬なんだ” ”寒いんだ”って感じただけだ。

普段の1年は短い。しかし、この1年は長かった。



2019年5月26日日曜日

タスマニア見学


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タスマニアといえば、ポートアーサー、囚人たちが過ごしたところだ。しかし、ここは悲しい事件が。。私がオーストラリアに来たばかりのころ、精神異常を病む青年が大量殺人を犯し、多数の人が犠牲になった。無残な死に方をしたり、海に逃げたり、みんな必死で逃げた様子がニュースになった。そこへ行く気にはなれなかった。そんなところへそれを知っていて、平気で観光に行ける人の気持ちが私にはわからない。

私はタスマニアンデビルが見たかった。せっかく来たのだからと、タスマニアンデビルに行った。タスマニアンデビルはたった4年しか生きられないそうだ。これは平均だから、少し長く生きるタスマニアンデビルもいれば、4年まで生きられず、病気で亡くなるタスマニアンデビルもいる。コアラなどが草食動物なのとはちがって、肉食で、カンガルーの肉を食べていた。小さいのに、迫力があった。

タスマニアンデビルは保護動物として守られてはいるが、数がへっているし、夜行性で、車にひかれることもあるようだ。


オーストラリアには他の国では見られない変わった動物がたくさんいるが、数が減っているのはどの動物についてもいえる。 人間が増え、住宅が増え、車が増えれば、当然のことだと思うが残念だ。

2019年5月19日日曜日

ベジタリアン、ビーガン (vegetarian) (vegan)

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さて、リアンも私の手術前同様かなり大きなお腹をしていた。のう胞の成長を抑える試験薬を今試しているところだ。彼女は肝臓だけでなく、腎臓 そして、脾臓にもブドウのようにたくさんある。

そんな彼女は人一倍、食べ物に制限をつけて、ビーガンを名乗っているから、食べ物にかなり制限がある。ご主人はベジタリアン、動物のお肉を食べない。で、私は動物のお肉にアレルギーがあるから、お肉は食べられない。ベジタリアンに近い。ということで、食事の心配は私達3人にはなかった。これも3人が上手くまとまった理由だ。


ただ、リアンに関していえば、あんなに、食事を制限して同じものばかりたべていたら、かえって体に悪いのではないかと思った。人間の体に必要なのは限られたものだけを食べていたのでは却って健康を害すのではないかと。バランスダイエットが健康には一番良いのではないだろうか。


もともと、私がビーガンやベジタリアンと違うのは思想がない。ベーガンやベジタリアンは動物を食べてはいけない。。とか、自分たちの思想に基づいて食べないことにきめているが、私はもともと食べられないから、そんな思想はないし、決める必要もなかった。


ただ、今回、彼女の作っているものをみて、私のレシピの幅が広くなったのは確かだ。今までレンズ豆、ひよこ豆などあまり使わなかったけど、これからは使ってみようと!!ベジタリアンのハンバーグもなかなかいけた。 ブラウンライスを使うサラダなどは結構おなかにたまるし、健康的だ。


私は日本のカレーにひよこ豆レーズンなどをいれて作ってあげた。結構なんでも入れられるカレーは便利だなと改めて思った。



2019年5月12日日曜日

母の日

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今日は母の日。ここは2-3日前から花屋さんが大忙し。花を買う人が多いからだ。ショッピングセンターの駐車場での会話。花束を大事そうに抱えた男性が子供が待つ車に戻ってきた。子供がお父さんに”どうして花束買うの?” お父さん”ママを愛しているから、花を買うんだよ。”

Breakfast in bedというのもある。この日はお母さんはベッドで寝ていれば、朝食は旦那様が持ってきてくれる。

あとはレストランで家族に囲まれて過ごす。この母の日特別ランチはえ!マジというくらい高いし、人気のあるレストランはすぐ予約がいっぱいになるから、1か月前以上に予約が必要だ。

教会では季節の花を胸につけてくれて、特別礼拝となる。

こんな母の日をみながら、日本にいた頃の母の日を思い出す。赤いカーネーションはお母さんのいる人、白いカーネーションはお母さんのいない人。子供ながらに、どうしてそんな区別をしなくていけないのかすごく不思議だった。今でもそんな学校があると聞いたが、これは何のためなんだろう。差別そのもの。わざわざ、私はお母さんがいませんなんて言わせてるようなものだ。私には母はいたが、この日が嫌いだった。白い花をつけている子供たちがかわいそうで仕方がなかった。

母の日は単純に母に感謝すればいい。いろいろな事情で母のいない人はそれなりに母のことを思えばそれでいい。この母の日は母がいるとかいないとかを区別する日ではない。教育者にこのことをよく覚えてほしい。カーネーションにいろいろな色があるように、人それぞれ、人生は違っていて当然だ。






2019年5月11日土曜日

タスマニアへ着陸

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3時間は映画をみているうちに過ぎてしまった。

さて、空港でbaggage claimのベルトコンベヤーに荷物が出てくるのを待ちながら、リアンは本当に着てくれるのかなと不安で、荷物と人を交互に見ていた。

10分ほどしたら、遠くて手を振っている人がいた。すぐに彼女だとわかった。お互い抱き合って喜んだ。彼女はすぐにわかったって言ったけど、周りにアジア人はいなかった(笑)ここまでくると日本人はほとんどいない。しかし、中国人の観光客はいる。美しいタスマニアに、日本人も足を向けてほしい。

スーツケースを取って、彼女の車に乗っていよいよ彼女の家に。お天気もいい。美しい、タスマンの海、ゴールドコーストとはちがって、ネービーブルーのどちらかというと、日本の三陸海岸の海の色に近い。寒い地域の深い海の色だ。南極に近いのだから。

彼女の家はイーグルホークネックというところで、空港から1時間ほどのdriveだ。ちょうど、ゴールドコーストとブリスベンの距離と同じだった。

家は山の中腹、国立公園に接した広い土地の中にたてられていた。木造り、ガラス張りの家は眼下に美しい海を見下ろしている。母屋はランドリー、サンルームとあり、もちろん、木を燃やす暖炉もあった。母屋のほかに、1ベッドルームのユニットとハットがあるが、ハットは建設中だった。私はユニットに泊まることになった。キッチンもテレビもみんなあった。もちろんこの部屋からもベットルームから海がみえた。

夢のようなお家だった。こんな家に住みたいと思ったことが何度かあった。リアンのご主人、ケビンにもあった。初めて会ったのに、私達3人ばっちり気があった。


家のベランダからの風景






2019年5月6日月曜日

不安と期待

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にほんブログ村  ワンコは入院中世話をしてくれたイアンとルーシーが引き受けてくれることになった。休暇はEasterを利用することにした。

ゴールドコーストからタスマニアは3時間。アッという間についてしまう。シドニーを回ったり、メルボルンを回るのもあるけど、待ち時間が長すぎる。直行便はブリスベンからでる。イアンとルーシーが空港まで連れて行ってくれることになった。ホテルを取ろうかと迷っていたけど、すなおに好意を受けることにした。日本の遠慮は禁物だ。

さて、庭のプラントなどの水やりは。。隣の人に頼むことにした。これは私が無理やり頼むことになったけど、あっさり引き受けてくれた。

飛行機はVirgin Australiaで約500ドル往復。。国内線は結構高い。さて、タスマニア、ホーバート空港からリアンの住むところまで公共の交通機関はない。で、UBERかなと迷っていたら、リアンが空港まで来てくれることになった。

それでも不安はあった。気が会わなかったら、ホテルに移るとか。。AIRBNBに泊まるとか。。同僚のほとんどは大丈夫よ!!といってくれたけど、やはりFBで知り合ったというのが。。オンラインのデーティングサイトではないんだからと。。いった人もいたが、私はオンラインデーティングが悪いとは思っていない。すべて、チャンスなんだから。ただ、今回は泊まるということになるし、近くであって、気があうかどうかを試すわけにもいかなかった。

最後は当たって砕けるしかないと覚悟を決めて、寒いところなので、冬服をしっかりつめこんだ。会社のマネージャが3度にもなるからたくさん冬服つめてね。ここはそんなに寒くならないから、冬服など、そんなにもっていない。慌てて、セカンドハンドショップに行って買い込んできた。

さて、空港についた!!

2019年5月4日土曜日

サポートグループ


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FBのサポートグループはイギリスのグループが立ち上げたものだが、グループには世界中の人が参加している。興味のある人はPLD Polycistic Liver Disease Support Group と探せばでてくる。PKD腎臓にもある人はこちらのグループもある。まずは、稀な病気で情報がないのが欠点で、専門の先生も少ない。だから、サポートグループでは情報交換が中心となっている。

そんな中で、私はある日オーストラリア人の女性からメッセージをもらった。いつでも話したくなったら、メッセージをしてくださいと。。そのころ手術が終わって再発におびえていた私には救いの手が差し伸べられた気になった。私は誰も診断できなくて、もう、これ以上大きくなったら大変だというところで初めて診断されたが、彼女は26年前、妊娠したときの超音波検査で診断された。腎臓、肝臓、脾臓と彼女はのう胞を持っている。ただ、私のように巨大にはまだなっていないので、手術の対象とならず、試験薬を試しているとのことだ。

メッセージを毎日のように交換した。そんな中で、息子が日本人と結婚していることもわかった。だんだん親しくなってきたとき、彼女が家に遊びにこないかと、招待された。

場所はタスマニア。。飛行機で3時間ほどかかる。でも、家の写真を見たとき、一度は行ってみたいと思うようにはなったが。。FBで知り合った友人だといっても、なかなか決断がつかなかった。メッセージ交換で気があっても、実際に気が会うかどうかわからない。ご主人もいるから、その人と気が会うかも心配だった。


なかなか決心がつかないうちに新年になった。でも、相変わらず毎日、メッセージの交換をしていた。そのうち、まあ。。休暇もしばらくとっていないし。。行ってもいいかな。。と思うようになってきた。

ワンコを預ける友人の都合、会社の仕事
の都合などを調整することにした。

2019年4月29日月曜日

最後に投稿してから5か月


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最後に投稿してからもう5か月がたってしまった。

術後めまいがひどくなかなかコンピュータに向かうことができなかった。術後6か月の超音波では異常はみられなかった。

早い人では2か月でのう胞が再発する。2年以内に再発する人がほとんどだと文献に書いてあった。私の肝臓にはまだのう胞が残っているし、手術で切った場所がそのまま穴のように開いている場所があるから、戻る可能性はあるといわれている。また、のう胞の水も少し残っている。

しかし、前よりは少しづつ楽になってきた。めまいも減ったし。。ただ、おなかを鏡で見るたびにもしかして大きくなってきているのかもしれないと。。ただ、太っただけかもしれない。こうして、毎日、戻ってくるかもしれない不安をもって生活していくのはとても耐えきれない。

だから、戻ってきたときはまた再手術、でも、前よりは危険性が少ないからあまり考えないようにしている。

大きなのう胞で押されて4つお部屋のある心臓が3つになったり、血液の循環が滞ったり。。それがもどるのに、どれだけ時間がかかるかは誰もわからない。膝の関節の痛みもなかなか取れなかった。サポートグループでも関節の痛みを訴える人がいる。

ただ、私は、肝臓だけののう胞だから、まだ、良いと思わなくては、中には、脾臓、腎臓、肝臓とあらゆるところにブドウのようにのう胞ができている人もいる。

そんな中でよいこともあった。これからはよいことを話題にしていきたい。