2019年5月12日日曜日

母の日

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今日は母の日。ここは2-3日前から花屋さんが大忙し。花を買う人が多いからだ。ショッピングセンターの駐車場での会話。花束を大事そうに抱えた男性が子供が待つ車に戻ってきた。子供がお父さんに”どうして花束買うの?” お父さん”ママを愛しているから、花を買うんだよ。”

Breakfast in bedというのもある。この日はお母さんはベッドで寝ていれば、朝食は旦那様が持ってきてくれる。

あとはレストランで家族に囲まれて過ごす。この母の日特別ランチはえ!マジというくらい高いし、人気のあるレストランはすぐ予約がいっぱいになるから、1か月前以上に予約が必要だ。

教会では季節の花を胸につけてくれて、特別礼拝となる。

こんな母の日をみながら、日本にいた頃の母の日を思い出す。赤いカーネーションはお母さんのいる人、白いカーネーションはお母さんのいない人。子供ながらに、どうしてそんな区別をしなくていけないのかすごく不思議だった。今でもそんな学校があると聞いたが、これは何のためなんだろう。差別そのもの。わざわざ、私はお母さんがいませんなんて言わせてるようなものだ。私には母はいたが、この日が嫌いだった。白い花をつけている子供たちがかわいそうで仕方がなかった。

母の日は単純に母に感謝すればいい。いろいろな事情で母のいない人はそれなりに母のことを思えばそれでいい。この母の日は母がいるとかいないとかを区別する日ではない。教育者にこのことをよく覚えてほしい。カーネーションにいろいろな色があるように、人それぞれ、人生は違っていて当然だ。






2019年5月11日土曜日

タスマニアへ着陸

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3時間は映画をみているうちに過ぎてしまった。

さて、空港でbaggage claimのベルトコンベヤーに荷物が出てくるのを待ちながら、リアンは本当に着てくれるのかなと不安で、荷物と人を交互に見ていた。

10分ほどしたら、遠くて手を振っている人がいた。すぐに彼女だとわかった。お互い抱き合って喜んだ。彼女はすぐにわかったって言ったけど、周りにアジア人はいなかった(笑)ここまでくると日本人はほとんどいない。しかし、中国人の観光客はいる。美しいタスマニアに、日本人も足を向けてほしい。

スーツケースを取って、彼女の車に乗っていよいよ彼女の家に。お天気もいい。美しい、タスマンの海、ゴールドコーストとはちがって、ネービーブルーのどちらかというと、日本の三陸海岸の海の色に近い。寒い地域の深い海の色だ。南極に近いのだから。

彼女の家はイーグルホークネックというところで、空港から1時間ほどのdriveだ。ちょうど、ゴールドコーストとブリスベンの距離と同じだった。

家は山の中腹、国立公園に接した広い土地の中にたてられていた。木造り、ガラス張りの家は眼下に美しい海を見下ろしている。母屋はランドリー、サンルームとあり、もちろん、木を燃やす暖炉もあった。母屋のほかに、1ベッドルームのユニットとハットがあるが、ハットは建設中だった。私はユニットに泊まることになった。キッチンもテレビもみんなあった。もちろんこの部屋からもベットルームから海がみえた。

夢のようなお家だった。こんな家に住みたいと思ったことが何度かあった。リアンのご主人、ケビンにもあった。初めて会ったのに、私達3人ばっちり気があった。


家のベランダからの風景






2019年5月6日月曜日

不安と期待

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にほんブログ村  ワンコは入院中世話をしてくれたイアンとルーシーが引き受けてくれることになった。休暇はEasterを利用することにした。

ゴールドコーストからタスマニアは3時間。アッという間についてしまう。シドニーを回ったり、メルボルンを回るのもあるけど、待ち時間が長すぎる。直行便はブリスベンからでる。イアンとルーシーが空港まで連れて行ってくれることになった。ホテルを取ろうかと迷っていたけど、すなおに好意を受けることにした。日本の遠慮は禁物だ。

さて、庭のプラントなどの水やりは。。隣の人に頼むことにした。これは私が無理やり頼むことになったけど、あっさり引き受けてくれた。

飛行機はVirgin Australiaで約500ドル往復。。国内線は結構高い。さて、タスマニア、ホーバート空港からリアンの住むところまで公共の交通機関はない。で、UBERかなと迷っていたら、リアンが空港まで来てくれることになった。

それでも不安はあった。気が会わなかったら、ホテルに移るとか。。AIRBNBに泊まるとか。。同僚のほとんどは大丈夫よ!!といってくれたけど、やはりFBで知り合ったというのが。。オンラインのデーティングサイトではないんだからと。。いった人もいたが、私はオンラインデーティングが悪いとは思っていない。すべて、チャンスなんだから。ただ、今回は泊まるということになるし、近くであって、気があうかどうかを試すわけにもいかなかった。

最後は当たって砕けるしかないと覚悟を決めて、寒いところなので、冬服をしっかりつめこんだ。会社のマネージャが3度にもなるからたくさん冬服つめてね。ここはそんなに寒くならないから、冬服など、そんなにもっていない。慌てて、セカンドハンドショップに行って買い込んできた。

さて、空港についた!!

2019年5月4日土曜日

サポートグループ


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FBのサポートグループはイギリスのグループが立ち上げたものだが、グループには世界中の人が参加している。興味のある人はPLD Polycistic Liver Disease Support Group と探せばでてくる。PKD腎臓にもある人はこちらのグループもある。まずは、稀な病気で情報がないのが欠点で、専門の先生も少ない。だから、サポートグループでは情報交換が中心となっている。

そんな中で、私はある日オーストラリア人の女性からメッセージをもらった。いつでも話したくなったら、メッセージをしてくださいと。。そのころ手術が終わって再発におびえていた私には救いの手が差し伸べられた気になった。私は誰も診断できなくて、もう、これ以上大きくなったら大変だというところで初めて診断されたが、彼女は26年前、妊娠したときの超音波検査で診断された。腎臓、肝臓、脾臓と彼女はのう胞を持っている。ただ、私のように巨大にはまだなっていないので、手術の対象とならず、試験薬を試しているとのことだ。

メッセージを毎日のように交換した。そんな中で、息子が日本人と結婚していることもわかった。だんだん親しくなってきたとき、彼女が家に遊びにこないかと、招待された。

場所はタスマニア。。飛行機で3時間ほどかかる。でも、家の写真を見たとき、一度は行ってみたいと思うようにはなったが。。FBで知り合った友人だといっても、なかなか決断がつかなかった。メッセージ交換で気があっても、実際に気が会うかどうかわからない。ご主人もいるから、その人と気が会うかも心配だった。


なかなか決心がつかないうちに新年になった。でも、相変わらず毎日、メッセージの交換をしていた。そのうち、まあ。。休暇もしばらくとっていないし。。行ってもいいかな。。と思うようになってきた。

ワンコを預ける友人の都合、会社の仕事
の都合などを調整することにした。

2019年4月29日月曜日

最後に投稿してから5か月


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最後に投稿してからもう5か月がたってしまった。

術後めまいがひどくなかなかコンピュータに向かうことができなかった。術後6か月の超音波では異常はみられなかった。

早い人では2か月でのう胞が再発する。2年以内に再発する人がほとんどだと文献に書いてあった。私の肝臓にはまだのう胞が残っているし、手術で切った場所がそのまま穴のように開いている場所があるから、戻る可能性はあるといわれている。また、のう胞の水も少し残っている。

しかし、前よりは少しづつ楽になってきた。めまいも減ったし。。ただ、おなかを鏡で見るたびにもしかして大きくなってきているのかもしれないと。。ただ、太っただけかもしれない。こうして、毎日、戻ってくるかもしれない不安をもって生活していくのはとても耐えきれない。

だから、戻ってきたときはまた再手術、でも、前よりは危険性が少ないからあまり考えないようにしている。

大きなのう胞で押されて4つお部屋のある心臓が3つになったり、血液の循環が滞ったり。。それがもどるのに、どれだけ時間がかかるかは誰もわからない。膝の関節の痛みもなかなか取れなかった。サポートグループでも関節の痛みを訴える人がいる。

ただ、私は、肝臓だけののう胞だから、まだ、良いと思わなくては、中には、脾臓、腎臓、肝臓とあらゆるところにブドウのようにのう胞ができている人もいる。

そんな中でよいこともあった。これからはよいことを話題にしていきたい。

2018年11月11日日曜日

肝のう胞サポートグループ

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FBをはじめてから何年にもなる。知らないうちにときは過ぎていくものだ。しかし、しばらくするとマンネリ化して興味を失う。

FBで友人だった人たちも抜けていく人が多いし、亡くなった方もいる。私も興味を失いかけている。1週間毎日の投稿が週3回に、時々は週1回もないときもある。

それに私はFBでハッピーにしていられる場合ではない。私は再発を案じ、これからのことを考えると不安が募ってきていた。そんな中でまさかと思いつつ、同じ病気のグループがないかと検索したらあったのです。イギリスのグループが中心に立ち上げたclosed groupで、そこには同じ病気の人たちだけが励ましあっていた。英語圏の人たちが中心だが、私も仲間に入れたもらった。1000個ののう胞を抱えて生活しているひと。肝移植を待っている人、。。そんな人たちの中で、症状や治療法の情報交換もし、お互いに励ましあっている。FBも捨てたものではないと思ったのだ。

もし、これを読んでいる人の中で同じような病気を診断された人、治療をしている人、これから治療をする人、是非、このグループに参加してください。Policystic liver Disease Support Group といれれば出てくるはずです。

やっかいで、とても稀な病気にかかってしまいましたが、一日一日を大切に過ごしかないです。


2018年11月4日日曜日

手術のあとの苦痛

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Photo: Keykodesign in My Clarence Valley
ジャカランタ


随分長くブログをご無沙汰してしまった。あたりはジャカランタが咲く春、しかしここの春は短く、すぐに夏になる。暑いクリスマス、そして、お正月に向かってまっしぐらだ。

病気はたいていの場合は、悪いところを除けば、元に戻る。私の場合は症状もなく太っているんだと思ってすごしたおおよそ10年。毎日、どうしてこんなにお腹が大きいのかわからず、ジムで汗かきながら、いつか平らなお腹になるぞと夢みていた。

4時間の手術でその夢が現実になった。夢にまで見た平らなお腹。体重もグーと減った。もちろん5キロの水袋を抱えていたから。タイトなスカートもばっちり。大きなウエストのスカートは落ちてしまう。着られなかったワンピースは努力しなくてもはいる。スリムな格好をしてあるけば、人の目も引く。もうお腹を隠す服はいらない。

え!これ誰だろう。で、どんな服を着ろっていうんだろう。本当に私かな?これからどんな格好をして会社に行けばいいんだろう。

ジムに戻った。ウエイト、自転車、クロストレーニング。。と少しやれば、体重は減っていく。食べるものも変わってしまった。食物の嗜好が変化してしまった。

もちろん体がついていけるわけではない。押されていた臓器が元にもどって、各臓器もびっくりしているんだろう。まずは過敏性大腸炎。その次は高血圧。次々と起こる体の異常にGPとの関係が濃くなっていく。ほとんど毎週問題があっていくからもう友人のようだ。

傷口は大分小さくなったが、まだ、思い出したように痛みがある。そして、その傷口を見るたびに手術のことを思い出す。

大きな手術のあとのこころのケアをどこかでしないと。癌で戦う人たちも本当に大変だろうなと。。病気の人たちの気持ちがよくわかるようになった。