2018年7月27日金曜日

自分で納得の医師をえらぶ

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この国は日本のようにさて、外科に行ってみるかとは行かない。まずはGPにいって、本当に専門医(外科とか整形とか。。)に行く必要があるかどうかを見てもらわなくてはいけない。

私の場合は、GPが血液検査と超音波検査に私を送り、その結果を見た段階で専門医の診察が必要だというくらい悪かった。そこで、GPが知っている外科医を選んで紹介状を書いてくれる。私も紹介状と外科医の名前をもらった。で、家に帰って、その外科医の評判をグーグルしてみたが、いまいち、腕はよいが術後の管理に問題があることがわかった。そして、肝臓の専門医ではない。以前に足首の骨折のとき、とんでもない専門医にまわされて大変な思いをしたのを思い出して、自分で今回は専門医を選ばしてもらうことにした。
ゴールドコーストホスピタル (公立)

しばらくグーグルして、レビューをみて、一人の医師を選んだ。オーストラリア人ではないが肝臓の専門家だ。レビューもなかなか良い。で、改めてGPに戻り、紹介状を書き換えてもらった。普通はしないことだが、私は病気の重さにびっくりして、どうしても、肝臓の専門医に見て欲しかった。でも、自分の選択に自信があったわけではなく、最後まで不安だったのは確かだ。

最初に診察を受けたとき、私は自分の選択が正しかったような気になった。大学で教える教授、外科医の二つの顔をもつが、おごるところはなく、親切である。説明もちゃんとしてくれるし、ユーモアもある。でも、2回ほどあって、最後まで信じるのはちょっと難しい。

病院に入院してから、スタッフたちにすごく人気があることがわかった。彼はハンサムだけど、それではない、患者にすごく親切だし、すごくきちんとしていると。ほっとした。でも手術が終わるまでは不安だったのは確かだ。

手術が終わった翌日は日曜日。ジーンズにセーターをきた彼は何気なくはいってきて、診察して帰っていった。それが最後まで変わらなかった。私はよい外科医にあったと。初めておもったのです。大きな手術をするときは自分が一番信頼できるドクターを選ぶのが一番いい。私は最初紹介されたドクターでなくてよかったと最後は思った。

2018年7月25日水曜日

急速なリカバリーと退院

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この国の退院は早い。大事をとってなんていう考え方はない。もうドクターが来なくても安定していて動けるようになれば、追い出される。

私もシャワーを一人であびて、ドレインもなくなり、点滴もなくなれば、あとは腸が動くかどうか。下剤のような粉を飲まされてそれが効けば、後は、ドクターのすることはない。人間の体が自然に回復するのを待つだけだ。

月曜日に管つきから解放され、フィジオも2日間で終わり、多少動けるようになった、木曜日。退院してもいいって。。。そんな。。退院は万一を考えて、知り合いが迎えに来なくてはいけない。半日で仕事を持っている友人に迎えを頼むことはできない。そこで、次の朝まで待ってもらい、薬をもらい、注意事項を看護婦さんと確認。退院となった。

歩けるようになると、病院生活は退屈になるから潮時かもしれなかった。

日本の外科医とちがって、ここの外科医は時間も自由になるし、包帯などの交換はしなくていい。つまり、外科医は病院に属しているわけでなく、病院を借りて手術をし、患者を置かせてもらって、看護職員を借りているだけなのだ。患者はそれぞれかけている保険でちがうが、別々にいろいろなところから請求書をもらって、払うことになる。執刀医、薬屋、レントゲン会社、病理会社、麻酔医師。。これでもかこれでもかと請求書が舞い込む。これを先払いして、medicareそして自分のかけている保険会社に一部あるいは全部を返金してもらう。中には、自分たちで保険会社に請求してくれるところもある。その場合は、私は差額だけを払えばいい。

私はまだ肝臓の中に1つのう胞を残しているし、脂肪がたりなかったので、のう胞があった場所をすべて埋められたわけではない。ドクターは再発の可能性を否定はしなかった。ただ、今度再発したときはこんなに大きくならない前に何とかできるので、簡単な手術になるとおもうが。。そんなことを心配していたらきりがないので、まあ。。がんでなかっただけでもラッキーだったの思うようにしている。


2018年7月24日火曜日

リカバリーへのスタート

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体からの管がとれて、点滴もなくなれば、あとはリカバリーへと向かうだけになる。友人たちもお見舞いにきてくれたというか。。新築の病院内の見学にきたというのか。。

フィジオ(リハビリ)がはじまった。全身麻酔で胸が圧迫されたあとは、上手く呼吸ができない。呼吸のリズムを元に戻すための呼吸の練習、そして、歩く練習。管がなければ、歩くのは簡単だ。距離は歩けないからゆっくり病院内の見学。そして、ベットから痛みの部分に力を入れずに起きる練習。簡単なことが結構弱ったからだには大変だ。

ドクターは何を食べてもいいといったので、夕方は友人のご主人に頼んで、おすしを買ってきてもらった。普段はここのお寿司なんておいしくないし。。なんて思っていたけど、術後の寿司は格別だった。

規則正しい病院生活もやっと少しなれてきた。ここには若い医師をつれての回診はない。私の担当医は大学での教授でもあったが、一人で診察のない日はジーンズとセーターでやってきた。看護婦が一人ついていて、医師が指示したことをノートするだけだ。やはり、ぞろぞろたくさんの人が来て自分の体をみていくのには抵抗がある。看護婦は変わるたびに白板に名前を書き換えて自己紹介してかえっていく。3つのシフトでできていて、朝、そして、午後から11時まで、あとは夜中のシフトだ。それに、看護学校の学生が時々ついていろいろ学んでいた。

お見舞いは部屋に名前がないだけに、苗字をしらないと探し出すのが大変だ。私は日本人だし、同じような名前がなかったので、ラッキーだったが。。同じ名前だと、苗字をしらないとなかなか部屋はみつからない。

また、部屋にいきついても、部屋の外には名前はないので、カーテンを開けて顔をみるまでは本当に其の部屋かどうか不安だ。私もお見舞いをするとき、不安だったのを覚えてる。

こんな風にして、少しづつ回復に向かう兆しがみえてきた。

2018年7月23日月曜日

術後 (肝のう胞開窓術)

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手術2日目のお昼、ついにICUをでて普通の病棟に運ばれることになった。

サーファーズパラダイスの高層ビルを遠くにみる素敵な部屋。もちろん個室だった。コーナーにシャワールームとトイレがあり、部屋は8畳から10畳くらいあった。

病院のベジタリアンのメニュー
しかし、私はまだ袋とドレイン尽き。点滴も腕に。2日目の夜を迎えた、近代的な点滴装置がリズミカルな音をたてて一晩眠れなかったし、トイレに行きたくても、たつわけにもいかず、垂れ流し状態に情けなくなって。。人間の尊厳なんか何もないような気がしてきた。寝たきり老人とかいうけど。。こんな風になってしまったら、毎日がつらいだろうなと思った。

次の朝になって、ドクターがやっと、点滴の管などを含めてすべてをはずしてもいいと言った。この瞬間をずーと待っていた。すべてが外れたとき、急いで、トイレにいって。。自分でトイレのできるそんな基本的な行動にすごく感謝した。

ある日のお昼
そしてシャワー!!3日ぶりに浴びたシャワーですっきり。看護士たちからも、リフレッシュしたねって喜んでもらった。其の晩は7時ごろには電気をけして、よく寝た。面会時間は一応はあるけれど、そんなに厳しくはない。そして、この病院には消灯時間はない。個室で、ボタンひとつでライトもテレビも操作できるから、、ドアを閉めてしまえば、外に音が響くこともなく、自分の寝たい時間に眠れる。消灯時間があっても寝られない人は寝られないし、もっと早く寝たい人もいるとおもう。生活習慣の違う人たちが入院しているのだから、消灯時間に一斉に眠りにつくことは不可能だ。

食事はあらかじめそれぞれの嗜好、たとえば、ベジタリアン、ヒンズーでXX肉は食べないなど。。それぞれにあわせてメニューが朝くる。もちろん食べてはいいもの、たべてはいけないものはドクターの指示に従う。メニューのなかから自分の食べたいものを選らんでおけば、それにしたがって食事はでてくる。みんなが同じものを食べるのは無理なような気がする。やはり、病気上がりには栄養が大切だ。好きなものを食べるのが一番いいとおもう。

こうして、やっと”通常”の病院生活の始まりとなった。友人たちもお花を持ってたずねてくれた。




2018年7月22日日曜日

手術

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待ちにまった。。。シアターに運ばれていったのは12時を過ぎていた。執刀医はまだ前の患者の手術をしていた。待つこと30分以上で執刀医や麻酔医が話しかけにきたが。。。緊張している私は笑う気にもなれなかった。時間が延びたのもあって、私には付き添いはなし。。最後は「先生今度また会えるかしら?」なんて私は馬鹿なことを聞いたのに、執刀医は考えてから。。「火曜日」よく意味のわからない会話を終えて、シアターにはいった。。執刀医は翌日患者を見に来るにきまっている。

そこで、数を数えてください。。。なんて映画のようなシーンはなく、これから忙しいのよねと麻酔チームがいったとおもったら、カリフラワーのような無影燈をみているうちに気が遠くなっていった。

これは普通の病室(シャワールーム、トイレつき)
起きたときには、なんか生きているのか生きていないのかわからなかった。ベットが移動されている音と、遠くで、誰かが、私の友人に手術の様子を話しているのが聞こえた。ただ、意識が交錯しているので、その後は眠ったり起きたりしていたような気がする。ICUにはいっているのはわかっていたが、時計もなく、光もはいってこないので、何時かもわからなかった。意識は其のうちはっきりしてきた。

そして、下半身は裸、尿のカテーテルと袋がさがり、右のおなかからはドレインが。ドレインからは2つの袋がぶら下がっていた。首には輸血の可能性を考えて、静脈、動脈に針が3本はいっていたし、両手は点滴。。動けなかった。ドレインがついているところは誰かがナイフで刺したような痛みがあった。

それをフィジオとか言って、ベッドから起きてあるけといった女性にはさすがカッときた。痛さで吐き気を催しているのに、歩き方がわるいとか。。しかし、今回は執刀医のことも考慮し、文句をいうのはやめた。

しばらくして友人カップルが様子を見に来てくれた。寝たままで、みだらな格好をしているからと躊躇したがうれしかった。其の後に、執刀医がやってきた。私ののう胞から5リットルの水が出たと教えてくれた。とっさに。。これで体重激減と喜びも。。

2018年7月21日土曜日

いよいよ手術!!

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手術まで1日となったとき、突然の痛みに襲われた。先生と話して、救急患者として入院することになった。あと1日。。。がんばれと2-3時間我慢してみたものの、だめだった。

素敵な病院のサーファーズパラダイスを臨むお部屋に落ち着いて、血圧を測ったら、180を超えて、手術が危ぶまれた。担当の外科医は内科医と相談し、血圧低下に必死の努力となり、どうにか朝までに通常にもどした。薬漬けだった。
病室から見えた景色

最後の日に家の中を片付けるつもりができず、乾燥機の中にはまだ洗濯物が、洗濯機にも洗濯物が、Dishwasherには汚れたものが。。。そんなことを考えている時間はなく、すべてそのままにして、家を後にした。

手術当日9時だといわれていた。消毒剤のついたスポンジでシャワーを浴びるように言われて、手術用の紙でできた手術着に着替えてまったが。。いつになっても迎えはこない。。手術を控えているから、食べることも飲むこともできず。。待つこと。。3時間。恐怖も。。高まる。考える時間のないうちに手術して終わって欲しかった。

やっとtheaterに運ばれていって、そこで、待つことまた30分以上、これこそ恐怖の頂点。早く、麻酔をかけてわからなくして欲しいと。。。願うが。。。恐怖のこの時間もやっと、担当の外科医がでてきて、話をし、終わりとなった。

この国は分業制。病院は建物とスタッフが基本。医師は病院という建物とかtheaterとか施設を借りて手術をしたり、治療をするのであって、病院に属しているわけではない。麻酔医なども担当医が自分で手配する。 公立病院に入れば、すべて無料、プライベートホスピタルはお金に余裕のある人か、私のように、プライベートの保険をかけて、このようなときはその保険から払う。

病棟はほとんどが個室、シャワーつき、大きなお部屋でホテルのようだ。食事もそれぞれの嗜好にあわせてそれぞれのメニューから好きなものを選べるから、まずくはない。

患者の名前はお部屋にはみられない。患者は00棟のxx番のベット (私の場合は9棟23番ベットでした)







2018年7月7日土曜日

手術の日が迫ってきた。。。さあ。。大変!!

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さて、手術の日まであと1週間、今までフツーに生活していたのだから、特に、変わったところはないはず。でも、のう胞があるとわかった日から、症状を感じるようになったのはやはり、病は気からというのは本当なのだろうか。

疲れやすくなった。ベットで寝ていたほうが楽な気がする。食べられなくなった。これは本当だ。食べたいのに食べると気持ち悪くなる。大きなのう胞があちこちの臓器をおさえているらしい。

痛みがあるような気がする。あるのだろうか? 前もあったのだろうか? それにしても、GPはどうしてもっと早く気づいてくれなかったのだろう。。と。これを読んでいる人たち、疑問があったら、躊躇せず、セコンドオピニオンを探そう。

さて、病院の入院書類はすべてオンラインでできる。座っていて、クリックしていくだけだ。まあ、死んだときに誰に連絡するか、どうやって連絡するか。。などなど。。一般的な質問と体に関係する質問がある。両方で1時間くらいかかった。

さて、病院へもちこめるものを見るために、病院のサイトにいくと、ベットはホテル並み、タオルもあって、テディベアまで座っている、これで、シャンペンでも写っていたら、ホテルだ。まあ、、写真というのは写し方によってどうにでもなるし、あとはフォトショップすればいい。持ち物のところにいくと、ipad, laptop..free wi-fi..これもホテル並みだ。まあ、無料のwi-fiがあれば、映画も見られるし。。時代は変わったなと一人で関心。 イヤホーンとタブレットさえあれば、何の差支えもない。

そして、先生への手術代を払ったら、後は、指定された時間に出向くだけだ。ここは病院へ払うお金、麻酔医に払うお金。。。と退院してからこれでもかこれでもかというくらいくる。病院によってははじめから、保険(medicare)や自分でかけている保険(medibank private etc)から差し引いてくれるところもあるが、ほとんどはあとから自分で書類を提出してお金が返ってくるという仕組みだ。

だから術後は傷も痛いが、頭も痛い。。