2018年8月26日日曜日

日本は痛みの文化?

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以前、山の上の小さなコッテージで外科医と麻酔医のカップルに出会った。話が進み、いろいろ話をするうちに、麻酔医が突然、「日本って痛みに耐えることが文化なの?」えええ。。。

確かに、こちらに来てから聞いたり体験したりして、ここでは痛みを極限に減らす努力をしているのに気がついた。足首を折ったとき、神経をはずれたのか、痛みはなかった。。ドクターが錠剤をもってきて、「これ飲んで、痛いでしょう?」 「え!痛みないんです」「すぐに痛くなるから」??

ほとんどの検査も手術も全身麻酔、胃の検査や腸の検査も全身麻酔。。あまり痛みを感じることはない。手術の後だって、痛み止めの大量投与、それだけが焦点のような治療。全身麻酔は体に悪いからなんていうのは日本だけ?! 

そういえば、医師が痛いところを触ったとすると、日本では「ああ。。そこが痛いんですね」くらいですが、、この何でも誤りはしないこの国では「ああ。。ごめんなさい」と。

もちろん全身麻酔をするには何時間前からか、何も食べられないし、飲めない、手術や検査が終わり、食べてもいい状態の患者にはサンドイッチやソフトドリンクがまっている。私も足首の手術をしたときは「早く起きて、食べなさい」と。。おなかがすいてるから、機内食のような食事でもおいしく食べられる。(笑)

痛みがでそうなときはあらかじめ手術の終わるころに、手術をしたところに局所麻酔をするからしばらくは痛みは感じない。それでも、次第に痛みを感じるようになれば、また、痛み止めだ。

私も術後はモルヒネに近い薬を投与されていた。まあ。。患者としては、痛みは感じたくないから。。こっちの方がいいかな。。て。

私の友人が日本で大腸がんの手術をして、痛み止めで寝ていたら、血圧がさがったので、一晩、痛み止めなしで、ベットの上で死ぬかと思うくらいいたかったと。。

ひさしぶりに遠出をして写真を撮りにいったら、頭の上に。。

2018年8月19日日曜日

美しい自然の中で傷を癒す。_肝のう胞手術後

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元の生活には戻ったものの、まだ、重いものをもちあげられないので、体重の重い私のワンコは預けっぱなし、やっと6週間がたって、来週私のと
公立の大学病院
ころに戻ってくることになった。

今週はすごい痛みで病院に逆戻り、検査をしたが、瘢痕組織とやらが原因ということで、無事退院。フツーの生活にはまだまだ遠い気がした。

退院してから気がついたのだが、私の心臓の心室のひとつはのう胞でおされ、すごく小さくなって、血液の循環が悪くなっていたといわれた。ゆっくり元に戻るそうだが、まだ、歩くと、時々深呼吸をして血液を循環させないといけない。まあ、そうすぐには元の大きさに戻るわけではないので、気長に構えているが。。それにしても、、一度手術すると後も大変だな。。と実感している。

しかし、自然の美しさの中を歩ける幸せを新たにかみしめている。いろいろとつらい治療を受けなくてはいけなくて、人間の尊厳も保てないなんてやけになった日もあったけど。。大きなのう胞がなくなり、おなかは手術の腫れを除けば、ほぼ、平ら、。。こんな体を味わったのは何十年ぶりか。。会社に超体ぴったりの服をきて、入っていける。。フツーのことがとてもうれしい。今まで、何十年もひたすら大きなおなかを隠すことだけを考えてきたからだ。よく考えれば、随分過酷な病気だと思った。

顔色も悪く、おなかも大きい。。服はだぶだぶ、そんな私はあまり振り返ってもらえなかった。人は顔や体系ではないけど。。やはり、細くなってからのみんなの目が違うことに気がついた。

美しい日の出に心をあらわれて、新しい人生への出発!!

2018年8月3日金曜日

再度生かされて_肝のう胞手術

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今でも、退院の日の朝陽を覚えている。新しい命を与えられたような美しい朝陽だった。病院の形が特殊で、4方向にガラスのラウンジがあり、朝陽も夕陽も含めたいろいろな景色が見られる工夫がされていた。

4時間も全身麻酔で呼吸器につけられていた私の胸は術後圧迫感があり、フィジオに呼吸の練習をさせられた。初めて、少し長距離の散歩に出たとき、汗が噴出し、何回もとまって、習った呼吸方法を実践した。呼吸は動けば動くほど、楽になり、今ではほとんど立ち止まって、深呼吸をすることはなくなった。

退院の日の朝
痛みもまだ思い出したようにある。でも、耐えられなかった痛みは一度だけ。どうしても耐えられなかった私はパナドール系の薬を急いで口にいれた。後は、時間とともに痛みはなくなると思っている。いくらキーホールでの手術とは言え、メスを入れたことには変わりはない。ちょっとした怪我でも完全に閉じるまでは長
くかかるんだから。。メスを入れたところはやはり時間がかかるのだろう。

久しぶりにビーチを歩き、朝陽の写真を撮ったり、景色を眺めたり。。つくづく、手術が成功してよかったと思っている。与えられた命の気がしている。そして、この自然の中に身をおいて、体でその美しさを感じることができる幸せを一杯感じた。

そして、執刀してくれた先生、術後のわがままな患者の世話をしてくれた看護士さんたち、執刀医のオフィスで明るく振舞ってくれたレセプションの人たち、そして、FBやテキストで、メッセージを送ってくれたり、病室にお見舞いにきてくれた人たち。。私がワンコの心配をしないように預かってくれたご夫婦、本当に今回いろいろな人のお世話になった。これからは生かされた私はこの人たちのために無駄なく、ここで、生きていこうと、朝陽に誓った。

2018年7月27日金曜日

自分で納得の医師をえらぶ

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この国は日本のようにさて、外科に行ってみるかとは行かない。まずはGPにいって、本当に専門医(外科とか整形とか。。)に行く必要があるかどうかを見てもらわなくてはいけない。

私の場合は、GPが血液検査と超音波検査に私を送り、その結果を見た段階で専門医の診察が必要だというくらい悪かった。そこで、GPが知っている外科医を選んで紹介状を書いてくれる。私も紹介状と外科医の名前をもらった。で、家に帰って、その外科医の評判をグーグルしてみたが、いまいち、腕はよいが術後の管理に問題があることがわかった。そして、肝臓の専門医ではない。以前に足首の骨折のとき、とんでもない専門医にまわされて大変な思いをしたのを思い出して、自分で今回は専門医を選ばしてもらうことにした。
ゴールドコーストホスピタル (公立)

しばらくグーグルして、レビューをみて、一人の医師を選んだ。オーストラリア人ではないが肝臓の専門家だ。レビューもなかなか良い。で、改めてGPに戻り、紹介状を書き換えてもらった。普通はしないことだが、私は病気の重さにびっくりして、どうしても、肝臓の専門医に見て欲しかった。でも、自分の選択に自信があったわけではなく、最後まで不安だったのは確かだ。

最初に診察を受けたとき、私は自分の選択が正しかったような気になった。大学で教える教授、外科医の二つの顔をもつが、おごるところはなく、親切である。説明もちゃんとしてくれるし、ユーモアもある。でも、2回ほどあって、最後まで信じるのはちょっと難しい。

病院に入院してから、スタッフたちにすごく人気があることがわかった。彼はハンサムだけど、それではない、患者にすごく親切だし、すごくきちんとしていると。ほっとした。でも手術が終わるまでは不安だったのは確かだ。

手術が終わった翌日は日曜日。ジーンズにセーターをきた彼は何気なくはいってきて、診察して帰っていった。それが最後まで変わらなかった。私はよい外科医にあったと。初めておもったのです。大きな手術をするときは自分が一番信頼できるドクターを選ぶのが一番いい。私は最初紹介されたドクターでなくてよかったと最後は思った。

2018年7月25日水曜日

急速なリカバリーと退院

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この国の退院は早い。大事をとってなんていう考え方はない。もうドクターが来なくても安定していて動けるようになれば、追い出される。

私もシャワーを一人であびて、ドレインもなくなり、点滴もなくなれば、あとは腸が動くかどうか。下剤のような粉を飲まされてそれが効けば、後は、ドクターのすることはない。人間の体が自然に回復するのを待つだけだ。

月曜日に管つきから解放され、フィジオも2日間で終わり、多少動けるようになった、木曜日。退院してもいいって。。。そんな。。退院は万一を考えて、知り合いが迎えに来なくてはいけない。半日で仕事を持っている友人に迎えを頼むことはできない。そこで、次の朝まで待ってもらい、薬をもらい、注意事項を看護婦さんと確認。退院となった。

歩けるようになると、病院生活は退屈になるから潮時かもしれなかった。

日本の外科医とちがって、ここの外科医は時間も自由になるし、包帯などの交換はしなくていい。つまり、外科医は病院に属しているわけでなく、病院を借りて手術をし、患者を置かせてもらって、看護職員を借りているだけなのだ。患者はそれぞれかけている保険でちがうが、別々にいろいろなところから請求書をもらって、払うことになる。執刀医、薬屋、レントゲン会社、病理会社、麻酔医師。。これでもかこれでもかと請求書が舞い込む。これを先払いして、medicareそして自分のかけている保険会社に一部あるいは全部を返金してもらう。中には、自分たちで保険会社に請求してくれるところもある。その場合は、私は差額だけを払えばいい。

私はまだ肝臓の中に1つのう胞を残しているし、脂肪がたりなかったので、のう胞があった場所をすべて埋められたわけではない。ドクターは再発の可能性を否定はしなかった。ただ、今度再発したときはこんなに大きくならない前に何とかできるので、簡単な手術になるとおもうが。。そんなことを心配していたらきりがないので、まあ。。がんでなかっただけでもラッキーだったの思うようにしている。


2018年7月24日火曜日

リカバリーへのスタート

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体からの管がとれて、点滴もなくなれば、あとはリカバリーへと向かうだけになる。友人たちもお見舞いにきてくれたというか。。新築の病院内の見学にきたというのか。。

フィジオ(リハビリ)がはじまった。全身麻酔で胸が圧迫されたあとは、上手く呼吸ができない。呼吸のリズムを元に戻すための呼吸の練習、そして、歩く練習。管がなければ、歩くのは簡単だ。距離は歩けないからゆっくり病院内の見学。そして、ベットから痛みの部分に力を入れずに起きる練習。簡単なことが結構弱ったからだには大変だ。

ドクターは何を食べてもいいといったので、夕方は友人のご主人に頼んで、おすしを買ってきてもらった。普段はここのお寿司なんておいしくないし。。なんて思っていたけど、術後の寿司は格別だった。

規則正しい病院生活もやっと少しなれてきた。ここには若い医師をつれての回診はない。私の担当医は大学での教授でもあったが、一人で診察のない日はジーンズとセーターでやってきた。看護婦が一人ついていて、医師が指示したことをノートするだけだ。やはり、ぞろぞろたくさんの人が来て自分の体をみていくのには抵抗がある。看護婦は変わるたびに白板に名前を書き換えて自己紹介してかえっていく。3つのシフトでできていて、朝、そして、午後から11時まで、あとは夜中のシフトだ。それに、看護学校の学生が時々ついていろいろ学んでいた。

お見舞いは部屋に名前がないだけに、苗字をしらないと探し出すのが大変だ。私は日本人だし、同じような名前がなかったので、ラッキーだったが。。同じ名前だと、苗字をしらないとなかなか部屋はみつからない。

また、部屋にいきついても、部屋の外には名前はないので、カーテンを開けて顔をみるまでは本当に其の部屋かどうか不安だ。私もお見舞いをするとき、不安だったのを覚えてる。

こんな風にして、少しづつ回復に向かう兆しがみえてきた。

2018年7月23日月曜日

術後 (肝のう胞開窓術)

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手術2日目のお昼、ついにICUをでて普通の病棟に運ばれることになった。

サーファーズパラダイスの高層ビルを遠くにみる素敵な部屋。もちろん個室だった。コーナーにシャワールームとトイレがあり、部屋は8畳から10畳くらいあった。

病院のベジタリアンのメニュー
しかし、私はまだ袋とドレイン尽き。点滴も腕に。2日目の夜を迎えた、近代的な点滴装置がリズミカルな音をたてて一晩眠れなかったし、トイレに行きたくても、たつわけにもいかず、垂れ流し状態に情けなくなって。。人間の尊厳なんか何もないような気がしてきた。寝たきり老人とかいうけど。。こんな風になってしまったら、毎日がつらいだろうなと思った。

次の朝になって、ドクターがやっと、点滴の管などを含めてすべてをはずしてもいいと言った。この瞬間をずーと待っていた。すべてが外れたとき、急いで、トイレにいって。。自分でトイレのできるそんな基本的な行動にすごく感謝した。

ある日のお昼
そしてシャワー!!3日ぶりに浴びたシャワーですっきり。看護士たちからも、リフレッシュしたねって喜んでもらった。其の晩は7時ごろには電気をけして、よく寝た。面会時間は一応はあるけれど、そんなに厳しくはない。そして、この病院には消灯時間はない。個室で、ボタンひとつでライトもテレビも操作できるから、、ドアを閉めてしまえば、外に音が響くこともなく、自分の寝たい時間に眠れる。消灯時間があっても寝られない人は寝られないし、もっと早く寝たい人もいるとおもう。生活習慣の違う人たちが入院しているのだから、消灯時間に一斉に眠りにつくことは不可能だ。

食事はあらかじめそれぞれの嗜好、たとえば、ベジタリアン、ヒンズーでXX肉は食べないなど。。それぞれにあわせてメニューが朝くる。もちろん食べてはいいもの、たべてはいけないものはドクターの指示に従う。メニューのなかから自分の食べたいものを選らんでおけば、それにしたがって食事はでてくる。みんなが同じものを食べるのは無理なような気がする。やはり、病気上がりには栄養が大切だ。好きなものを食べるのが一番いいとおもう。

こうして、やっと”通常”の病院生活の始まりとなった。友人たちもお花を持ってたずねてくれた。